音楽力が高まる17の「なに?」~だれも教えてくれなかった音楽のヒミツ~
共同音楽出版社 ISBN978-4-7785-0317-8
大嶋 義美
1. オーケストラってなに? 10.旋律(メロディー)ってなに?
2. コンサートってなに? 11.調性感ってなに?
3. 才能ってなに? 12.弟子ってなに?
4. 古楽ってなに? 13.留学ってなに?
5. 聴くってなに? 14.練習曲(エチュード)ってなに?
6. 演奏ってなに? 15.テクニックってなに?
7. 呼吸ってなに? 16.練習ってなに?
8. 指揮者ってなに? 17.音大ってなに?
9. ピアノってなに?
筆者の大嶋義美はプラハ放送交響楽団首席、群馬交響楽団第一フルート奏者を経て、現在京都市立芸術大学・大学院教授。とは言っても、フルートに特化した話ではなく、広くクラシック音楽、演奏に通じるエッセーとなっています。
一例として「練習曲(エチュード)ってなに?」を取り上げてみましょう。
書き出しはこんなです。
「つまらなさそうに演奏しないで!! エチュードじゃないんだから・・・・!」
音楽をやっていると、誰しも一度や二度はこんな注意を先生から受けたことがあるだろう。当のエチュード自身はどう思っているのだろう。「オレってそんなに退屈な奴なのか?」とひそかに悩んでいたりして・・・・(笑)
こ んなエピソードが残っている。ある音大のフルートクラスの話だ。レッスンはといえばただひたすら最初から最後までタファネル=ゴーベールの《17のメカニズム日課大練習》を吹かせるだけの先生がいた。レッスンの間先生はなにもいわない。ある学生が「先生!なにも注意をなさらないのですか。だったら家で練習させてくればいいじゃないですか?」。すると先生は答えた「私がいないところで生徒たちがこのエチュードをさらうとでも、君はいうのかね?」
このようなユーモアを交えて始まりますが、決してくだけ過ぎずに、だんだん本質に迫っていきます。その辺の展開は実に見事だと言えるでしょう。
そう考えると単純な音階練習も、さらにいえば、たった一音のロングトーンに対してすら、わたしたちは美しさを聴きとることができるような気がする。たとえそれが機械的な反復練習だとしても、そこに「美の萌芽」を発見するところから真の音楽にいたる道筋がみえてくるのではあるまいか。
-中略- かのゴールウェイ氏も「美しくなければけっして一つの音も一つのスケールも一つのアルペジオも吹かないというよい習慣は、エチュードを練習するときにいつも守らなければなりません」とその著書のなかで宣言しているではないか。
「エチュードといえども美しくない音は、一音たりとも出してはならない」という主張は彼の音楽への熱い想いを示している。
その熱い想い、すなわち「熱意と情熱」を表すラテン語 “studium” こそがエチュード “etude” の語源であることを知る人は少ない。「熱意と情熱」に欠けるエチュードへの取り組みは、そもそもがその本義に反するわけだ。一見つまらそうに思えるエチュードも、音楽を愛するひとびとの熱き想いから生み出されたことを、わたしたちは忘れるべきではないだろう。
最後は実に含蓄のあることばで締めくくられています。
さすがに筆者はフルート奏者だけあって、フルートの事例が多く出されて来るのですが、それはフルートだけにしか通用しないものではなく、あらゆる楽器の演奏に通用する普遍的なものとなっています。
確かに、音階や練習曲となると、とたんに機械的で無表情な演奏になってしまう人が多く見受けられると思いませんか?
おそらく音程をはずしてはいけないとか、間違えてはいけないとかいう気持ちが過剰に働き、びくびくしながら演奏しているのかもしれませんね。これからは、そういう縮こまった死んだような音ではなく、「熱意と情熱」を持って、美しい生き生きとした音で練習曲や音階をさらおうではないですか!ゴールウェイならずともハイフェッツも音階練習を重視し、自らも欠かさなかったと聞きます。曲はつまるところ皆ドレミで出来ているのですから、あらゆる調で、美しい音のドレミが弾ければ怖いもの無しということだろうと思います。
このようなかたちで今まで深く考えたことのなかった17の問いに、著者は実に軽妙な語り口で、そして明確に答えを提示してくれます。演奏家を志す人はもとより、クラシック音楽愛好家も必読の書と言えると思います。