バイオリン(ヴァイオリン)販売・専門店・
弦楽器サラサーテ・東京(渋谷)から25分

完全予約制 10:00〜19:00 不定休

やっぱりヴァイオリンはイタリアが一番なの?

「ヴァイオリンは絶対イタリアものをすすめるね。ドイツや日本のヴァイオリンは音色が暗いしフランスの楽器は鼻にかかったような音がするからね。」

このような発言をヴァイオリンの専門家から聞く事がよくあります。やっぱりイタリアの楽器の音が一番良いのでしょうか?

◆何故イタリアだけが・・・・

日本が初めて生んだ世界的ヴァイオリニストであり、教師としても高名な江藤俊哉氏は、 かつてカーネギー・ホールでデビューした時には、フランスのヴァイオリン Lupot(リュポー)を使用していました。
実は、これには後日談があって、それはリュポーではなく更にランクの下のBernardel (ベルナルデル)製作の ものだったことが判明したそうです。

しかしながら、アメリカの批評家はその時の演奏を「フランチェスカッティ (名ヴァイオリニスト ストラディヴァリウスを使用)以来の美音」と褒め称えたそうです。

また、偉大なヴァイオリニストのクライスラーはストラドもデル・ジェスも所有する かなりの楽器コレクター でもありましたが、レコーディングに最も使用したのは J.B.Vuillaume(ヴィヨーム)のヴァイオリンであったとか。

かように、高名な演奏家がコンサートやレコーディングで使用した楽器が実はイタリア製ではなかった、 という話は山ほどあります。
最近では、ヒラリー・ハーンがヴィヨームのヴァイオリンで何枚ものCDをレコーディングしております。

イタリアのオールド銘器は大変デリケートなので、湿度や温度の環境が 急変しやすい演奏旅行や、 長時間音が安定していなければならない レコーディング等には適さないこともあったのかもしれません。

イタリア製のオールドヴァイオリンに名器(銘器)が多いのは確かに事実です。
私は、偉大なるそれらの名器(銘器)を否定する気はさらさらありません。

その名器(銘器)の音に「ヴァイオリンの真髄」があると人々は感じたのです
ここまでは、何の問題もありません。

しかし、日本の誰かがこれを俗に言う「イタリアの音」と名付けたところから間違いが始まりました。

私の独断では、
「ヴァイオリンの真髄」とは、「つくりの良いヴァイオリンに備わる充実した響き」のことだと思います。

確かに古いイタリアの名器(銘器)の中には「充実した響き」を持つものが少なくありません。これは事実です。

しかし「つくりの良いヴァイオリン」はどこの国でも生産される可能性はあります。

実際、先のヴィヨーム等はストラドやデル・ジェスの精巧なコピーをフランスにおいて作り上げ、 もちろん音も良かったのです。
ただ、偽物作りの汚名を着せられたため日本ではイメージが悪くなってしまったのです。
もちろんヴィヨーム自身は自分の楽器をクレモナの「本物」として売っていたわけではありません。

一旦「ヴァイオリンの真髄」=「イタリアの音」という公式ができ上がってしまうと、いつの間にか 「イタリアの音」は「イタリアの楽器」と置き換えられました。
するとこの公式は「ヴァイオリンの真髄」=「イタリアの音」=「イタリアの楽器」となり。
縮めると「ヴァイオリンの真髄=イタリアの楽器」となってしまったのです。

こうして、日本の専門家の間には、ヴァイオリンの真髄を得るにはイタリアの楽器を何が何でも 手に入れなくてはならないのだという風潮が出来あがったのではないかと私は推測いたします。

しかしながら、これは極めて短絡的な思考であったと言わざるを得ません。

これは、「東京の鮨屋だったらどこでも皆美味い。」と言っているのと同じです。
確かに「鮨の真髄は江戸前」なのかもしれません。
でも、だからと言って東京の鮨屋だったらどこでも良いという理屈にはなりません。
まずい鮨屋も沢山あるはずです。

イタリア人でも下手くそが作ったヴァイオリンは使いものになりません。これは当たり前の話です。


さて、このイタリア偏重は果たして世界的な傾向なのでしょうか?

世界のオーケストラを見てみますと、何と自国の楽器を使っているケースがかなり多いのです。
(イタリアのオケの場合はオールドのイタリアンはなかなか買えないので、モダンや新作が中心ですが)

次にはフレンチの楽器が占める割合が多いと思います。(楽器のつくりの精度が比較的高く、 安定しているから) これが、実は世界のスタンダードなのです。

アメリカは良いものであれば自国のものであろうが、イタリア製であろうが、はたまた日本製であろうが、 自信を持って堂々と使っています。
様々な個人の価値観が同居しておかしくない国なのです。
ただ、アメリカの場合、けた違いのお金持ちもいますので、そういう人はびっくりするようなイタリアの銘器を 所有していることもまた事実です。

「ヴァイオリンは絶対イタリアものをすすめるね」

ですから、この言葉は世界的な傾向などでは決してなく、全く日本だけの信仰のようなものなのです。

それでは、どうして日本ではフランスの楽器やドイツの楽器が軽視されるのでしょうか。

フランス、ドイツは、ある時期からヴァイオリンの量産に向かいました。
そして、全世界中に安価な学習用のヴァイオリンを流布させました。
日本で一般的に目にするドイツ、フランスの楽器というのは、そういう量産品である確立が高いのです。

量産品と手工品では、はじめから勝負は見えています。土俵が違うのですから。

もちろんフランス、ドイツにも手工品はあります。
量産化に向かう前は、当然、みんな手工品だったわけですし、量産化が進む中でも、手作りの製作者は存在しています。
そういう、ドイツ、フランスの手工品とイタリアの楽器とを勝負させたら、どうでしょうか?

この場合でも、違いは必ず生じます。もちろんイタリアの楽器が勝ることもあるでしょう。
でも、それは国籍に起因する差である前に、製作者の作り方の差であったり、たとえ同じ製作者の楽器の中でも 起こりうる、個体差であると考える方が健全です。

でもえらい先生や有名な演奏家が、「イタリアの楽器でなければ楽器に非ず。」
というような内容の発言をすると、 どうしても、そっちに世間の風潮はなびいてしまいます。
例えば、音大を目指す学生などは、それを聞き、あせってイタリアの楽器を買いに走ります。
イタリアの楽器でなければ、合格できないと思えば親も必死です。
何とかイタリアの楽器を手に入れようと 金策に走り回る人もいるでしょう。

これが日本のヴァイオリン教育の現状です。

この原因の多くは、生徒が自分の音についてのアイデンティティを持っていないからにほかなりません。
しかし、本人の問題だけではなく、これは教育の問題でもあります。
生徒一人一人の音や個性を尊重せずに、ただ自分のやってきたことを生徒にもやらせる。
そして、生徒の側も主体性なく、ただ先生に従うだけ・・・・
これは、何もヴァイオリンに限ったことではなく、日本の教育の特徴なのかもしれませんが。

したがって、そういう環境下では、生徒がどんなに成長して弾けるようになっていても、 指使いは先生の示すものが絶対正しくて、楽譜も先生の指定した版しか見ないという風になりがちです。

ですから、楽器についても、
先生の言うとおりに・・・・・、自分はこれで良いと思うが、とにかく先生の意見を聞かないと・・・ という意識構造になってしまっても、全く不思議はないのです。

◆プロの守護神「イタリアの音」

職業演奏家としてやっていくためには何か拠り所が必要です。
それが「イタリアの音」を出すイタリアの楽器なのです。
あるいは、プロにもなって、イタリアの楽器を持っていなければ、馬鹿にされると考えている人もいるかもしれません。
プロにとって、イタリアの楽器は、言わば、営業用の看板のようなものなのかもしれません。

バブリーな時代も影響して、高いということは、ステータスや安心の材料にさえなっていたのです。
まあ、高いお金を出しても程度の良いイタリアンが買えた人は良かったと思いますが・・・・

◆イタリア新作はモダンイタリーの代用品なのか?

そういうプロの道具を使ってみたいのが、アマチュアの方の人情です。
中にはプロ顔負けのイタリアのモダンやオールドの銘器をお持ちの方もいらっしゃるとも聞きますが、 趣味なのだから、家族の手前、何の役にも立たない楽器にばかりお金を使ってはいられないという悩みの方が、まず良く聞く話です。

そういう方は、「オールドが高くて買えなけりゃモダン、それでも無理なら新作があるさ。」というわけでイタリア新作に飛びつきました。

◆イタリア新作天国、日本

とにかく「イタリア」という文字が付けば・・・・・
きっと良いに違いない。まず間違いはないだろう。後で高くも売れるかもしれない。
今の日本におけるイタリア新作楽器のブームは、そうやって生み出されたものと考えられます。

もちろんブームは良い風潮を生み出す原動力ともなります。

この場合、皆さんの目が、オールド楽器から新作に向いたというのは大きな収穫でした。

オールド、モダン楽器の場合、ラベルや鑑定書だけを信じて、変なものを掴んでしまうことも少なくないからです。

しかし、「日本人はイタリアものならどんなものでも高く買う。」という悪しき評判を世界中に流してしまったのも、これまた事実です。

もちろん、イタリア新作の中にも素晴らしく良い楽器もあることは、私は否定はしません。そういった楽器は私も仕入れています。
しかし、契約した製作本数や納期だけを守るために仕事の質を落としてしまうメーカーも出てきているのです。

「日本人は納期さえ守れば金を払う。」「あいつらは耳は無いから、製作者証明を付けておけば平気さ。」
彼らが陰でささやいているのが聞こえてくるようです。

「イタリア製」や「製作者自筆の証明書」は品質保証書ではないのです。


プロであろうとアマであろうと、初心者であろうと、名人であろうと、楽器というものは道具なのですから できるだけ良いものを持つに越したことはないと私は考えております。
そのために楽器に興味を持たれることは良いことだと思いますし、また、良い楽器を選ぶ上で、 ある程度の知識は必要だとも言えます。
ただ、あまり知識偏重になると本質を見失うことも有ります。

製作者名や製作者の経歴にばかり目が行くと、立派な体裁の証明書の前で、難なくコロリと いってしまうかもしれません。
大事なのは、楽器そのものです。これを忘れてはなりません。

楽器はプロであれアマチュアであれ、どの楽器を選択するかは個人の趣味嗜好の世界のことです。
人が何と言おうと自分の好きなものをもつのも良いでしょうし、人に自慢して 快感が得られるような ブランド楽器を手に入れるのも良いと思います。
要は、その人の価値観によるのです。
自分の価値観で好きなものを選ぶ。これが一番大事なことではないかと思います。
有名だからとか人が薦めるからではなく「自分が好きだから」「自分が使いたいから」をまず大事にしていただきたいと思います。

◆真髄は値段に関係なく存在する

ところで、近年ワインがブームになりました。日本人のワイン消費量がかなり伸びたそうです。
それに伴い、「ソムリエ」なる職業も一般に認識されることとなりました。
そのソムリエ達は、有名レストランでは、1本数万円というような高価なワインを、毎日ポンポン開けているわけですが、 それはもちろんお客さんのためにであります。
彼らが自宅で飲むのは、意外にも、チリや南アフリカ産などの1本1000円ぐらいのワインなのです。

別にお金が無くて、そうしているわけではないでしょう。

値段が安くても、ちゃんと選べば、ワインの良さを充分楽しませてくれるものに、出会えるからです。
まずいけれど、安いからと我慢して飲んでいるのではないのです。
おそらく、そこには、値段は安くとも、ちゃんと「ワインの真髄」が存在しているからなのです。

考えてみればヨーロッパでは水代わりにワインを飲みます。
毎日、水代わりに飲むものに、そんなに高いお金をかけるわけにはいきません。
言わば、彼らのワインは、日本人にとってのお茶のようなものです。
日本人で、食事のときに玉露をがぶがぶ飲む人はいないはずです。

でも、それだからと言って、日常まずいお茶をがまんして飲んでいるわけではないと思います。
家庭の主婦は、スーパーなどで、結構安くてもおいしいお茶を選んできているのではないでしょうか。

このように、物を「日常」のものとしてとらえられるようになれば、たとえ値段が安くても、 そこそこの品質のものを選ぶことができるようになるのです。
また、安いからといって、その選んだものに対して不満、不安を持つことも無くなるのです。

日本人にとってのワインは、まだまだ非日常的なものです。
どうしても、選ぶ際には、生産国や銘柄そして年代、などに左右されます。
そして、価格が高いものほど 高級で美味しいに違いないという意識をどうしても捨てきれません。
ところが、日本人でありながら、もはやワインを非日常のものとは感じないソムリエ達は、 堂々と安いワインを飲んでいるのです。
彼らは、ワインが安いことに、何の不安もいだきません。
安くても美味しいワインはあるということを知っているからです。
家庭の料理に合わせるのには、このぐらいのワインで充分ということを知っているからです。
ワインは安いもの、水のようにも飲むもの。それが、欧米諸国のスタンダードだということを良く知っているからです。

クラシック音楽、弦楽器、というのは日本ではまだまだ生活に密着していません。
ですから、弦楽器を選ぶ、購入するというのはまだまだ、非日常の出来事なのです。
そういう意味では、まだまだ色々な因習に左右されるのは、仕方が無いのかもしれません。


ヴァイオリンの真髄は「イタリア」や「年代の古さ」や「価格の高さ」にあるのではなく、 国籍、年代、価格に関係なく、良いつくりのヴァイオリンが演奏者と共に創り出すものなのです。

そもそも、クライスラーが言ったように、 「ヴァイオリンの音を創り出すのは演奏家であって、ヴァイオリンではない」 のです。 出てくる音の全てが楽器の責任であるというのは無理な話です。

試みに誰かが楽器を試奏するのをじっと聴いていてみてください。
最初に音を出したときと、しばらく弾いた後では、楽器の音が変化していることにお気づきになるはずです。

あたかもグラスに注がれたワインが、空気と触れ合うことによって、どんどん香りや味が変化していくかの如く、 楽器は弾くにつれ音がどんどん変化していきます。
それは、楽器が元々持っていた音が奏者のイメージによって作りかえられていく瞬間、 あるいは、楽器によって奏者の方が触発され、演奏者が今までは持たなかった音を新たに発見していく瞬間なのです。


ある時、「シベリウスの音のイメージの楽器」を探しているというお客さんがいらっしゃいました。
もちろん、当店以外にも色々と楽器店を巡られているようでしたが、どこでも思うような楽器が 見付からないとのことでした。

私は、この方のお話を伺って、この方に合う楽器は、世界中の楽器屋を探し回ったとしても見つからないだろうなあと思いました。 なぜなら、「シベリウスの音」は楽器の中ではなく、そのお客さんの頭の中にあるのですから。

いつか、その方がそのことに気づかれたとき、「充実した響き」のする「つくりの良い楽器」を、どこかの楽器店で手に入れられていることでしょう。

イタリア以外のヴァイオリンを見てみる