ヴァイオリン関連CD、DVD、書籍ご紹介

「クラシックの愉しみ」 横溝 亮一著|角川書店

横溝 亮一 著 「クラシックの愉しみ」

クラシックの愉しみ
横溝 亮一著
角川書店
ISBN978-4-04-110391-3

この本は副題に『アナログ主義者が選んだ名指揮者・名歌手・名演奏家』とありますが、デジタル録音やCDを批判したり、LPレコードやSPレコードを礼賛したりしているものでは全くありません。
アナログ云々の副題は、アナログ期の巨匠クラスについて書いたということであって、録音や再生方式には関係ないものと思います。

著者の横溝亮一は金田一耕助を探偵役とする一連の探偵小説で有名な作家横溝正史の長男で東京新聞文化部音楽担当記者を経て1977年に音楽評論家となりました。この著作は、音楽鑑賞歴70年超という著者が、印象に残る外国人演奏家について書き綴ったものになります。

弦楽器奏者としてはヨーゼフ・シゲティ、ユーディ・メニューイン、アイザック・スターン、ダヴィット・オイストラフ、ヘンリク・シェリング、アルテユール・グリュミオー、パブロ・カザルス、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ、弦楽四重奏団としてブタペスト弦楽四重奏団、バリリ四重奏団などが採り上げられています。

誤解、誤認、独断、偏見さまざまあることは承知の上、大方の批判を乞う次第と著者は前書きで述べています。確かに著者自身の好き嫌いをストレートに表現している部分はあると思います。しかし、決して奏者への畏敬の念を忘れてはいません。
また、実際に会ってインタビューをした人間にしかわからない演奏家の側面を鋭く捉えているという点では見逃せないものがあると思います。

なお、巻頭には『20世紀のマエストロ』と題し日本を代表する音楽写真家、木之下晃が撮影した貴重かつ美しい写真が掲載されています。こちらも眼を楽しませてくれます。


菅野沖彦 レコーディング コレクション|XRCD|日本伝統文化振興財団

XRCD 菅野沖彦 レコーディング コレクション

XRCG  30025/8  日本伝統文化振興財団
菅野沖彦 レコーディング コレクション

【ビクター録音編】
Disc1:『ヴェーバージンケのバッハ名オルガン曲集』
J.S.バッハ:
・トッカータとフーガ ニ短調 BWV565
・コラール『深き淵より、われ汝に呼ばわる』 BWV.686
・オルガン小曲集より『かくも喜びに満てるこの日』 BWV.605
・オルガン小曲集より『おお人よ、汝の大いなる罪を嘆け』 BWV.622
・パストラーレ ヘ長調 BWV.590
・前奏曲とフーガ 変ホ長調『聖アン』 BWV.552

アマデウス・ウェーバージンケ(オルガン)

録音時期:1971年4月
録音場所:武蔵野音楽大学ベートーヴェンホール
録音方式:ステレオ(アナログ/セッション)

Disc2:『シュタルケル驚異のチェロ名演集』
・シューベルト:アルペジョーネ・ソナタ イ短調 D.821
・ボッタームント/シュタルケル編:パガニーニの主題による変奏曲
録音時期:1970年12月
録音場所:東京、杉並公会堂
録音方式:ステレオ(アナログ/セッション)

~ボーナス・トラック~
・コダーイ:無伴奏チェロ・ソナタ全曲
録音時期:1970年12月
録音場所:東京、ビクタースタジオ
録音方式:ステレオ(アナログ/セッション)

ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ)
岩崎 淑(ピアノ:シューベルト)

【トリオ録音編】
Disc3:『オーレル・ニコレ フルートの喜び』
・シューベルト:アルペジョーネ・ソナタ D.821(フルート編)
・シューマン:幻想小曲集 Op.73
・シューマン:3つのロマンス Op.94

オーレル・ニコレ(フルート)
小林道夫(ピアノ)

録音時期:1978年3月
録音場所:東京、石橋メモリアルホール
録音方式:ステレオ(アナログ/セッション)

Disc4:『宮沢明子 ショパンを弾く』
ショパン:夜想曲集
・第7番嬰ハ短調 Op.27-1
・第8番変ニ長調 Op.27-2
・第11番ト短調
・第10番変イ長調
・第13番ハ短調 Op.48-2
・第1番変ロ長調 Op.9-1
・第2番変ホ長調 Op.9-2
・第4番ヘ長調 Op.15-1
・第20番嬰ハ短調
・第9番ロ長調 Op.32-1
・第15番へ短調 Op.55-1
・第21番嬰ハ短調

宮沢明子(ピアノ)

録音時期:1973年5月
録音場所:東京、青山タワーホール
録音方式:ステレオ(アナログ/セッション)

ステレオサウンドという雑誌を読んだことがある方なら菅野沖彦については良くご存じのことと思います。今やオーディオ評論の重鎮として君臨している彼ですが、1970年代は録音エンジニアとしても活躍していました。

代表的な録音をXRCDという技術でCD化したものがこの4枚組CDなのですが、今聴き直してみてその水準の高さには驚きを隠せません。

おそらく、菅野はオーディオ評論家という仕事を通じて、録音されたものが再生装置を通してどう再現されるかということについて他の録音エンジニアよりも熟知していたのだと思います。
そして、こういう音に録りたいという自分の音のイメージを強く持っていたのではないかと思います。
また、他のエンジニアと違い、あら捜し的な物理的な耳ではなく、自分の理想の音を実現するための情緒的な耳を持っていたのではないかと思います。
どの録音を聴いても、スケールが大きく、それでいて刺激的ではなく、極めて自然で温かい音調にまとまっています。オーディオを通したときにオーディオ的でなく響く、そのためにはどう録れば良いのかということを本当に良く知っていたのだと思います。
また、制作していたのが小さな組織だったので、アーティスト、曲目、ホール等の選択など全部自分で決めることができたということ、それも自分の理想の音を実現するためには重要だったのではないかと思います。

ブックレットの解説中で、嶋護は菅野録音の最大の特徴はピアノの録音にあると述べています。それは、「ピアノの“ボディ”が空間の中にリアルに現れる点」であり。「ボディが“視覚化”されると言ってもいい」点なのだそうです。そしてその要因として「ピアノのボディは振動しています。ピアノの音は、ハンマーと弦だけが出しているわけではなく、フレームとボディが増幅しているのです。菅野録音は、その振動を音として捉えているので、実物のピアノの大きさがはっきり現れます。」と述べています。

ニコレやシュタルケルの録音で聴ける伴奏のピアノの音では気が付きませんでしたが、宮沢明子のショパンを聴いてみると、確かに菅野のピアノ録音が他のレコーディングエンジニアの音とは違うことがはっきりわかります。

普通のピアノの録音の場合、ややパルス的、打楽器的だけれど、打鍵が明確なクリアな録音を目指しているものか、ホールトーンを多めに入れて、聴きやすい柔らかい音を目指したものかに分かれるのではないかと思います。
前者は明快ですが、長く聴いていると聴き疲れがしてしまいます。後者は細かいパッセージなどが聴き取りにくく、残響のためにフォルテなどが混濁してしまうこともあります。
ところが、菅野録音の場合は、そのどちらのパターンでもなく、実に不思議な感じなのです。おそらく、マイクは近めでホールトーンはあまり入れていないと思われるのに、ピアノの響きは実に豊かに聴こえるのです。
先の嶋護の言葉を借りれば、鳴っている楽器の共鳴をきちんと録っているからなのでしょう。そのためにはある程度マイクは近接しなければならないし、楽器全体の振動を余すところなく録るためには、過度な残響はかえって邪魔なだけなのかもしれません。
それにしても、こんな豊かで厚みがあり、それでいてクリアなピアノの響きは聴いたことはありません。

先の嶋護は、菅野とピアノは“相思相愛”だったと言っていますが、まさに楽器、奏者そして曲への愛情が伝わってくる録音だと思いました。
こういう録音を聴くと、録音は単に技術ではなく芸術だと思います。また、演奏家にとって誰に録ってもらうかは極めて重要なことではないかと思います。


クレモナのヴァイオリン~サルヴァトーレ・アッカルドとの旅|DVD

DVD:クレモナのヴァイオリン~アッカルドとの旅

DYNDVD 33742
クレモナのヴァイオリン~サルヴァトーレ・アッカルドとの旅

1. ストラディヴァリ博物館
2. ビソロッティ工房
3. ブルース・カールソン工房
4. クレモナ市庁舎展示室
5. マスタークラス

収録:2011年 クレモナ 日本語字幕付

クレモナという町はヴァイオリンに関係する人々全てにとって特別な町でしょう。しかし、ヴァイオリン製作地として有名になる以前にも12世紀にできた大聖堂は、中世後期の音楽活動に重要な役割を持ち、また16世紀からは音楽の中心地として多くの音楽家を送り出していました。
1600年~1700年代にはアマーティ家、グァルネリ家、そしてストラディヴァリの工房が軒を並べクレモナのヴァイオリン製作の黄金期を迎えたのです。
このDVDは、名ヴァリオリニスト、サルヴァトーレ・アッカルドが由緒あるクレモナを案内するというもので、博物館の内部、製作者の工房、市庁舎での楽器試奏とレクチャーを交えながら楽しませてくれます。居ながらにしてクレモナ小旅行ができてしまうといったところでしょうか。

ストラディヴァリ博物館はストラディヴァリの道具や型などが展示されていて、楽器の展示はありません。しかし、道具を通して当時のストラディヴァリの仕事ぶりを知ることができるという点では、製作者にとっては非常に重要な場所だと思います。ここでは、市庁舎でいつもバッハのパルティータの1番を弾いているモスコーニ氏が一緒に案内をしてくれています。
次はビソロッティ工房、ここでアッカルドは自身のデル・ジェスを披露。弾いてみせます。
そして次は調整に出していた楽器を受け取りにカールソンの工房に。その楽器は何とバッハ無伴奏ヴァイオリンソナタ&パルティータ全集で書いたマッジーニ 1620年でした。ここでもアッカルドは弾きますが、明らかにマッジーニの音は特徴があります。低音が独特ですね。
そしてお待ちかね市庁舎の展示室。またモスコーニさんが登場。
ここではストラディヴァリ 1715やデル・ジェス 1734そしてアンドレア・アマティ 1566をアッカルドは弾きます。とりわけ気に入ったように見えたのがアンドレア・アマティ 1566。これについては相当語っていました。とにかく、このアマティのような古い年代の楽器が状態良く保存されていることは驚異的だと私も思いました。
アッカルドが市庁舎のヴァイオリンを弾いたCDは以前クライスラーへのオマージュその他のヴァイオリン名曲聞き比べCDでちらっと紹介しております。アッカルドのこの楽器への思い入れを聞いたらこのCDのアンドレ・アアマティの音を改めて聴き直したくなりました。

マスタークラスの映像は一部は先日アッカルドマスタークラスで紹介したものと同じでした。
最後にアッカルドは生徒の育て方について興味深い話をします。

若い世代の生徒はひとりひとり違った成長の仕方をする。それに関しては親の役割が極めて重要であると彼は言います。
生徒の親がせっかちだと、無理に難曲を弾かせようと押し付ける。多くの才能が親につぶされるのを見て来たとアッカルドは言うのです。

日本の場合は親もそうなのかもしれませんが、先生がそうしていることも多いのではないでしょうか?


湾曲弓によるJ.S.バッハ 無伴奏ヴァイオリンソナタ&パルティータ全集

湾曲弓によるJ.S.バッハ 無伴奏ヴァイオリンソナタ&パルティータ全集

BVCE   38015/6
J.S.バッハ無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全集

・無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番ト短調BWV.1001
・無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第1番ロ短調BWV.1002
・無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第2番イ短調BWV.1003
・無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番二短調BWV.1004
・無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第3番ハ長調BWV.1005
・無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番ホ長調BWV.1006

ヴァイオリン:ルドルフ・ゲーラー(カーヴド・ボウによる)
録音:1998年7月

この演奏の一番の特徴は、カーヴド・ボウ(curved bow)を使用したところにあります。シュヴァイツァーとゲーラー
それは、いわゆる古楽器の逆反り弓の湾曲度を大きく超えたもので、左の画像のようなかたちをしています。そして、通常の弓のように、弓の毛の張り具合を回転式のネジで調節するのではなく、可動式のレバーで全く自由に張ったり緩めたりできる構造を取っているとのことです。
弓の毛の緩め具合によって3重音、4重音を出すことが可能になったのです。
何故このような弓を考案したかというと、このバッハの無伴奏の曲集の中には3重音、4重音が頻繁に出てきますが、当時の演奏技術では、それらをできるだけ同時に弾こうと乱暴に寸断して演奏するか、上行・下行の落ち着かないアルペジオとして演奏するしかなかったからなのです。

それにいたたまれなくなって真剣に弓の改良に取り組んだのが、何とかの有名なシュヴァイツァーだったのです。
アルベルト・シュヴァイツァーはアフリカの赤道直下の国ガボンに生涯を捧げた医学者としてまず知られていますが、神学者、そしてオルガニストとしても活躍したバッハ研究家でもありました。
そのシュヴァイツァーが、上記のような演奏水準にいたたまれなくなり、弓の改良に取り組んだのです。気の遠くなるような調査と幾度もの失敗を重ね、実に33年の月日をかけてカーヴド・ボウを完成させたと言います。ですから、決してゲテモノとして片づけられるものではなく、バッハへの深い愛情、そして理想の演奏への飽くなき探求心が生んだものと言えるでしょう。(現在のカーヴド・ボウは湾曲度を少なくし、運動性能を上げているそうです)

実際パルティータの2番のシャコンヌなどを聴きますと、確かに独特のものがあると思います。和音が同時に鳴り響きますので、ヴァイオリンがまるでオルガンのように響きます。ですから和音が続くところは荘厳な雰囲気を感じることができると思います。
一方、和音と速いパッセージが混在するようなところは、毛の張りを調節しながら重音と単音を弾きわけなければならず、どうしてもややもたついたり、表情が付かずに単調に聴こえてしまうきらいがあります。
しかし、(演奏者のルドルフ・ゲーラーについてはどのような経歴の持ち主かはわかりませんが)この録音がライブであることを考えますと、この演奏は大健闘だったと言えるでしょう。

作曲した当時のバッハの頭の中では、このように同時に和音が鳴っていたのでしょうか。一度この独特な響きを是非聴いてみられてください。

因みに、パルティータ2番のシャコンヌはブラームス(左手)やブゾーニがピアノ用に編曲しているものがありますね。こちらの響きと比べてみるのも面白いかもしれません。


イザベル・ファウスト|J.S.バッハ無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全集

イザベル・ファウスト CD :HMC 902059  J.S.バッハ無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全集

HMC 902059                        HMC 902124
J.S.バッハ無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全集

・無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調 BWV1004
・無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第3番ハ長調 BWV1005
・無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番ホ長調 BWV1006
録音:2009年9月

・無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番ト短調 BWV.1001
・無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第1番ロ短調 BWV.1002
・無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第2番イ短調 BWV.1003
録音:20011年8月、9月

ヴァイオリン:イザベル・ファウスト
使用楽器:Stradivari 1704 “Sleeping Beauty”
(Landeskreditbank Baden Württemburgより貸与)

上記のように、約2年ほど間を空けて完成させたイザベル・ファウストの“バッハの無伴奏”ですが、録音時期の違いによる解釈の違い、そして録音の音造りの違い等は全く感じられませんでした。ですから2枚続けて聴いても全く違和感なく、統一された演奏として聴き通すことができるでしょう。
この演奏は、前回ご紹介したアッカルドのJ.S.バッハ無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全集の演奏とは全く対照的なものと言えると思います。もちろん、それ以前の大家、例えばシェリングやシゲティなどのバッハとも異なるものです。
このCDは(弓については現代Bowを使用したのか、バロックBowを使用したのか不明ですが)モダン仕様の楽器で最もピリオド的な演奏をした“バッハの無伴奏”と言えるのではないかと私は思います。

下記の演奏家の言葉からも、自筆譜を見つめ、ピリオド奏法を研究しそれを最大限に採り入れた演奏であることが窺い知れます

バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータの自筆譜を見た人は、その筆致の美しさ、完璧さに驚かされる。
一貫して変わらない筆跡は、支柱、装飾、荘厳な構築性を兼ね備えた大聖堂のような総合芸術へと私たちを誘う。ここで見られるハーモニー、均衡はなんということか!
この自筆譜の特徴を耳で聴けるかたちにするのは大変に骨の折れる作業である。
演奏者は尽きることのない疑問と戦い、ゴールが果てしなく遠いことに気が遠くなることもある。
この録音は、偉大なバッハに対する敬礼のようであり、きわめて親密なスナップであり、そして果てなく続くプロセスの中の一つの結晶のきらめきのようなものである。

この演奏の一番の特徴は速い楽章にあると私は考えます。ソナタ1番の終楽章、ソナタ3番の終楽章、パルティータ2番Giga、そしてパルティータ3番の終楽章などを聴いてみてください。唖然とする速さです。
通常、モダン楽器、モダン弓でそのテンポで弾いたら弾けなくて破綻をきたすか、弾けても普通なら音がつぶれたり荒っぽく聴こえてしまうような、とても速いテンポをファウストは採用しています。
速い楽章のテンポというのは、細かい音符がきちんと聴衆に聴こえるテンポ、破綻をきたさず弾けるテンポが基準にならざるを得ないのですが、そういう意味では非常識とも言えるテンポです。
ファウストくらいの名手ならば、このテンポでもテクニック的に破綻をきたさないのは当たり前なのかもしれませんが、驚くべきはその軽やかなボーイングです。どんなにテンポを上げていっても、発音が軽く、限りなく音が明瞭なのです。決して音がつぶれたり、濁ったりしません。モダン楽器でテンポを上げ過ぎると、どこか音楽が大袈裟で騒がしく聴こえかねないのですが、この演奏は聴いた後に、まるで風が草原を駆け抜けていくような、爽やかで清々しい印象だけが残ります。
また、緩徐楽章に於いては、弱音を効果的に生かした演奏と言えると思います。(古楽器演奏家が良くやるように)音の真ん中を大きく膨らませることなく、ストレートに弾いているため、音の美しさがより際立ち、透明感、寂寥感が際立っています。

そして、この演奏のもう一つの特徴は、装飾音です。
ファウストは反復記号を省略せずに演奏していますが、その反復を行った際に、譜面には無い装飾音を付け加えて弾いています。(速い楽章ですと装飾音を入れることが物理的に難しい場合もありますので、装飾音の付加は緩徐楽章に於いて顕著に聴くことができます。)

バロック期の作品に於いては、演奏家が即興で装飾音を加えるという演奏スタイルがごく一般的だったので、そう珍しいことではないのですが、ことバッハに関してはそうは言えません。
と言うのも、バッハの場合は装飾が必要と思われるような部分は、作曲家自身がかなり細かく音符を書いてしまっているので、その上に敢えて装飾は不要だということなのです。さらに、奏者が装飾音を加える行為はバッハではタブーであるという考え方さえもあります。
ですから、イザベル・ファウストが行った反復の際の装飾音の付加に関しては、異論も出るかもしれません。
ただ、聴いていますと、殆どの場合ほんの少しの装飾に留まっており、それによって曲想が大きく崩れるような箇所はありません。ですから、譜面を見て聴いていたり、曲に精通しているような方が聴かない限りはそう気になるようなことはないのかもしれません。

ただ、すごく気になる箇所がひとつあります。それは装飾音ではないのですが、誰もが「えっ」と驚く箇所があるのです。
それは無伴奏ソナタ第1番の第Ⅰ楽章、第3小節目にやってきます。おそらく皆さんが今まで聴いたことのない響きをそこで聴かれると思います。
これは演奏上のミスなのか?譜読みのミスなのか?そんなことがあるわけがありません。良く知られているバッハの無伴奏ですし、これはライブ録音ではなく、
セッション録音です。編集上のミスということもまず有り得ないでしょう。ですからこれは意図的なものと考えるべきでしょう。

J.S.バッハ 自筆譜 そこで、自筆譜(左)を調べてみることにしました。問題の箇所とは、3小節目3拍目、矢印を付けた箇所なのですが、通常はここはEs(ミの♭)で弾かれるところです。
それに対し、ファウストはこの音をE(ミ)で弾いています。ですから聴き慣れない異様な響きがして、ドキっとさせられたのです。
でも自筆譜を良く見てみるとどうでしょう、臨時記号♭は付いていないではありませんか!
おそらく、楽譜の出版の際には前後の関係や調性などから、バッハが♭記号を書き落としたものとして処理されてきたのでしょう。私が知る限りではこの音符をファウストのようにE(ミ)のまま弾いた例を知りません。自筆譜に忠実だと言えば確かにそうなのかもしれませんが、物議を醸しだす箇所と言えば言えると思います。

イザベルファウスト自身がこの音の件について語ったインタビュー記事を見つけました

このような装飾音や、臨時記号の是非については音楽学者におまかせするとして、私はこの演奏は現代楽器によるピリオドアプローチとしてはまず大成功と言っても良い出来だと思います。

特に私が優れていると思ったのは、パルティータの1番の演奏です。
この曲は4つの舞曲から成り、それぞれの舞曲の後半には、ドゥーブル(Double)が置かれています。このドゥーブルというのは変奏曲のようなものなのですが、これが演奏するにあたっては実に曲者です。ドゥーブルは本編と同じテンポで弾くのが原則なのですが、これがなかなか難しく、できていないことが多いのです。
ファウストの演奏はドゥーブルの処理が実に見事です。それは先に書いたように速いテンポでも全ての音符を美しく弾き切ることができているからです。
パルティータの1番は、4つの舞曲、付随するドゥーブルの性格の違いが聴き手にはっきりと伝わらなくてはいけないと思いますが、この演奏でそれが初めて伝わったように思いました。

現代におけるバッハ演奏の理想的なかたちとして、また一つの規範として、このCDは学習者の手元にも置かれるべきであると私は考えますが、ひとつ心配があります。それは、このような演奏をコンクール等でしたときに果たして日本の審査員はどう評価するだろうか?ということなのです。残念ながら今のところそれは未知数であるとしかお答えできません。
と申しますのも、審査員の年齢やそれぞれの(かつての)学習の基盤によって、どのようなバッハを善しとするかは様々であり、大きな隔たりがあるからなのです。
でも、もし海外のコンクールや講習会等でバッハを弾くような機会があったとしたら、かつてのシェリングのような大家風バッハではなく、ピリオド奏法を取り入れ、なおかつそれを自分の中で咀嚼したようなバッハを演奏するべきだと私は思います。実際、海外のヴァイオリニストが日本に来て今弾くバッハ(協奏曲のアンコール等も含む)は、ほとんどそのような流れになってはいないでしょうか?

ですから、日本に於いても(師事している先生がいくら眉をひそめようとも)外人の先生のマスタークラスやレッスンなどでは、ピリオド奏法を研究したバッハを弾かないと「時代遅れ」のレッテルを貼られてしまいますのでご注意を。


サルヴァトーレ・アッカルド|J.S.バッハ無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全集

アッカルド「J.S.バッハ無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全集」

fone /061 SACD
J.S.バッハ無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全集

・無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番ト短調BWV.1001
・無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第1番ロ短調BWV.1002
・無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第2番イ短調BWV.1003
・無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番二短調BWV.1004
・無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第3番ハ長調BWV.1005
・無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番ホ長調BWV.1006

ヴァイオリン:サルヴァトーレ・アッカルド
使用楽器:Stradivari 1727 “Hart”(ソナタ第1番、第2番、第3番、パルティータ第3番)
G.P.Maggini 1620“GiorgioⅢ”(パルティータ第1番、第2番)
録音:2007年9月

アッカルドは1976年にこのバッハの無伴奏全曲を録音していますから、30年以上経っての再録音ということになります。
演奏はトレンド化しているピリオド奏法を取り入れたものではありません。しかし、ヴィブラートの幅などは抑えられたものとなっているように思いますので、巨匠風、大家風の演奏とも少し違います。重音の奏法、速い箇所などにやや粗さを感じなくもありませんが、ピリオド的な演奏に比べ、楽器を鳴らし切り、ダイナミックに弾き切った豪快なバッハと言えるかと思います。
実はこのCDで注目すべき点は録音に使用された楽器にあります。
Stradivari “Hart”は過去のブログ、ストラディヴァリ4挺による四季 でも触れました通り、フランチェスカッティから譲り受けた楽器でアッカルドの楽器としてはもはや馴染み深いものですが、もう一台クレジットされている楽器 Maggini 1620 “GiorgioⅢ” は実に珍しく、興味深いものです。私はここに目がくぎ付けになりました。

ブレシアのヴァイオリン製作者 書籍試しに、左の画像の書籍でこの楽器が載っていないか調べましたところ・・・・ありました。見つけました。

この書籍は、2007年にブレシア派の製作家の楽器を集めた展示会 が行われたのですが、その展示会に出品された楽器をまとめたものです。

左の画像がそのMaggini 1620“GiorgioⅢ”になります。Maggini 1620“GiorgioⅢ”
どのような経緯で、アッカルドがこの楽器を弾くことになったのか詳細はわかりませんが、とにかくこのStradivariよりも更に100年も古い楽器の音がCD録音として記録され、残されたことは凄い価値のあることだと私は思います。

録音は教会で行われたのでしょうか、やや残響過多と思われます。かなりはっきりしたエコーが戻ってきますので、速い動きの時には直接音にまとわりつくような感すらあります。ですから、ディテールが滲んでしまい、楽器の聴き比べにはあまり向かない録音のように思いますが、それでも StradivariとMagginiの違いは歴然としていました。
Stradivariの軽やかさ華やかさに比べ、敢えて煌びやかさを抑え、限りない底力を見せるMagginiの音は実に逞しく、魅力的でした。1620年という古い年代の楽器がこのような強力な音を出すことに私は驚きを禁じ得ませんでした。
実に贅沢な話ですが、このMagginiを聴いた後にStradivariを聴くと、フランチェスカッティ所有の名器もどこか華奢に聴こえてしまうくらいですね。
ともかく、Magginiの音、この1620年の楽器が出す、信じられないくらいのエネルギッシュな音を一度聴いてみてください。


ヴィエニアフスキ ヴァイオリン作品集

ヴィエニアフスキ ヴァイオリン作品集 CD

ACCORD /ACD 106-2
ヴィエニアフスキ ヴァイオリン作品集

 ・ポーゼンの思い出 op.3
・クヤヴィアク(お気に入りのマズルカ) イ短調
・華麗なるポロネーズ第1番 ニ長調 op.4
・モスクワの思い出 op.6
・カプリース=ワルツ ホ長調 op.7
・言葉のないロマンスと優美なロンド ニ短調 op.9
・新しい手法(無伴奏ヴァイオリンのためのエチュード・カプリース) op.10
・ロシアの謝肉祭 op.11
・2つのサロン用マズルカ op.12
-牧歌 (La champetre) ニ長調
-ポーランドの歌 (Chanson polonaise) ト短調
・スケルツォ=タランテラ ト短調 op.16
・創作主題による変奏曲 op.15
・伝説曲 op.17
・2つのヴァイオリンのためのエチュード=カプリース op.18
・2つの性格的マズルカ op.19
-オベルタス (Obertas) ト長調
-旅芸人 (Le Menetier) ニ長調
・グノーの『ファウスト』による華麗な幻想曲 op.20
・華麗なるポロネーズ第2番 イ短調 op.21
・ジーグ ホ短調 op.23

ヴァイオリン:バルトウォミエイ・ニジョウ、ピオトル・プワフネル
コンスタンティ・アンジェイ・クルカ、ダニエル・スタブラヴァ
ピアノ:アンジェイ・タタルスキ、エルジビエタ・スタブラヴァ

録音:2001年 3月、6月、7月

コンサートのアンコール・ピースとして、またはコンクールの課題曲あるいは自由曲などで《スケルツォ=タランテラ》、《華麗なるポロネーズ》、《創作主題による変奏曲》、《モスクワの思い出》などのヴィエニアフスキ作品は良く演奏されますね。ですから、これらの曲は皆さんどこかで聴かれたことがあると思います。このCDはそれらの良く知られた曲に加え、あまり演奏されない作品も併せて収録してくれていますから学習者、コレクターも大変重宝すると思います。
それにプラスしてこのCDの特徴は、演奏がポーランド出身のアーティストで固められていることです。本場モノが必ずしも良いとは限りませんが、このCDの場合、一聴してその違い、良さは感じられると思います。

ヘンリク・ヴィエニアフスキは1835年ポーランドの地方都市ルブリンの旧市街に外科医の二男として生まれました。幼年期からヴァイオリンに強い関心を示し最初は地元でS.セルヴァチニスキに師事したが、驚異的な成長を遂げ、パリ音楽院に8歳で例外的に入学を許可されます。
そして12歳のときにはペテルスブルク、パリなど各地を弟のユーゼフと共に演奏旅行しました。
その後パリ音楽院に再入学して作曲を学び、コンポザー・ヴァイオリニストとして活躍しました。
彼はその生涯の大部分を各国に演奏旅行していますが、当時ヨーロッパ音楽の中心地の1つだったペテルスブルクとは特に関係が深く、当代の名匠たちの集っている中で、若いヴィエニアフスキが「皇帝陛下のソリスト」という名誉ある称号を得ています。
彼の演奏は異常なほどの情熱と力感に溢れ、しかも憂愁味があり、輝くばかりの名人芸と結びついた全く比類のないものだったとのことですが、あまりの多忙さは彼の心臓を痛め、1880年3月、モスクワで死を迎えました。
演奏回数の多さは常軌を逸したもので、1872年を例に挙げるとアントン・ルービンシュタイン(アルトゥールとは別人)と共演したアメリカでの演奏旅行だけでも、8か月で215回。ニューヨークだけでも50回に及んだといいます。
ヴィエニアフスキはまた優れた教育者でもあり、ブリュッセル音楽院でウジェーヌ・イザイを教えたことはあまりにも有名です。

さて、このCDですがクルカやスタブラヴァのベテラン組と、ニジョウ、プワフネル組がそれぞれ分担して演奏していますが、どれも甲乙をつけがたい名演と言えるでしょう。

日本の学生がコンクール等で《創作主題による変奏曲》や《モスクワの思い出 》等の作品を聴くと、いつも聴き始めは皆良く弾けるなあと感心するのですが、聴いているうちにだんだん(大変失礼ですが)飽きてきてしまいます。
それがなぜだったのか、このCDを聴くと良くわかります。ヴィエニアフスキの書いた音楽を再現するには、まずは正確な技巧が必要なのですが、上記、ヴィエニアフスキの演奏の特徴で書いた、情熱と力感そして憂愁味が演奏に感じられなくてはダメなのです。
もちろんきちんと正確に弾けるのは素晴らしいことなのですが、日本の学生のヴィエニアフスキの演奏の多くは、単なる技巧のオンパレードになってしまっていて、そこに感情や情熱つまり“うた”を感じることがあまりありません。場合によっては曲を自分の技巧をひけらかす手段としか考えていないような演奏もあります。そういった演奏を聴くと、ワンパターンでしつこいだけの曲にしか聴こえて来ません。それでは聴き進むうちに飽きてきてしまっても仕方がありません
ね。
このCDで聴けるのは、そういった技巧のオンパレードではなく、曲に秘められた烈しい情念のようなものの吐露です。《華麗なる○○》というよ
うな題名が付いていようとも、決して輝かしいだけの表面的な曲ではありません。曲の底辺にはどこか仄暗い民族の“うた”が流れているのだと思います。それをえぐり出してきているのでこのCDの演奏は心を打つのだと私は思います。

私なりのこのCDの白眉は《グノーの『ファウスト』による華麗な幻想曲》です。
実は私はこの曲がとても苦手で、何度聴いても、なんてつまらない曲なのだろう、どう考えても駄作としか言いようがないなとずっと思っていたのですが、この演奏を聴いてその考えが覆されました。初めて曲を理解しその良さを納得できたように思います。

ヴァイオリン学習者はもちろんのこと、ヴァイオリン音楽を観賞する方々にも広くお薦めしたいCDです。


サルヴァトーレ・アッカルドのマスタークラス|DVD

アッカルドのマスタークラス Vol.1 / DVD

DYNDVD 33693
アッカルドのマスタークラス Vol.1 

サラサーテ:カルメン幻想曲 (受講生:ルシア・ルケ)
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第3番 Op.12(受講生ラウラ・マルツァドーリ)

収録:2011年 クレモナ Walter Stauffer アカデミー
字幕:英・日・中・韓

サルヴァトーレ・アッカルドがイタリアのクレモナで教えているというのはこれまでに聞いたことがありましたが、そのマスタークラスのDVDが出たということで、早速購入し視てみました。レッスンはイタリア語で行われていますから、日本語字幕は有難いですね。
アッカルドは1941年生まれということで、もう71歳。さすがに頭を見ると歳を取ったなあと思わせます。
ところが、レッスンの冒頭、別室でアッカルドが指慣らしをしているシーンがチラッと映るのですが、そのヴァイオリンの音色の艶や輝かしさはまだまだ彼が現役として健在であることを教えてくれます。
以前のブログ記事若き日のサルヴァトーレ・アッカルド で私は来日公演のTVを視ての感想として「何か楽器が鳴らないというか、弓を押し付け過ぎているのでしょうか、全ての音がつぶれていたように思いました。」とアッカルドを評しましたが、それは撤回しなければいけないとこのDVDの音(2011年)を聴いて感じました。
また、レッスン中に楽器を取り出し、弾いてみせるシーンが何度かあるのですが、その部分でも、テクニック、音とも、70歳を過ぎたヴァイオリニストとは思えない全く申し分の無い演奏を聴かせてくれます。そういった部分も楽しめるDVDだと思います。
気になったのはこのアッカルドが時使っている楽器。ちらっと見えた裏板の杢からは、1718 “Firebird” 、 1727 “Hart”のいずれでもないように思えたのですが・・・・

さて、本題のレッスンについてです。
受講生については、DVDの輸入代理店からの解説がありますので、それを引用します。

サラサーテの『カルメン幻想曲』でアッカルドに指導を受けている女性ヴァイオリニスト、ルシア・ルケは、その演奏風景がYouTubeの動画で10000回以上も再生されている注目の若手。既に完成された技巧を持つはずの彼女が、アッカルドから教えを受けるなんて、まさに鬼に金棒と言えるのではないでしょうか。もう一人のラウラ・マルツァドーリはNAXOSからレスピーギのヴァイオリン協奏曲(8.572332)をリリースしておりその実力は折り紙つき。こちらも、アッカルドの指導を受けることにより、どのようにその音楽が変化するのかを目の当たりにできます。

これを読む限りでは、かなりの腕前の受講生のようです。が、このマスタークラスのDVDを視る限りでは私には判断できませんでした。

カルメンは、通し演奏が終わった後から映像は始まります。受講生ルシア・ルケはこの曲を弾き慣れていないのか、あるいはさらい始めたばかりなのか、譜読みのミス、弾き違えなどを連発しています。それでも、全く恐縮することなく、あっけらかんとしているのはいわゆるラテン気質ということでしょう。そして、日本人の生徒に比べ、先生への質問が多いように思います。自分の練習不足、出来は棚上げしておいて、先生はどういう風に弾くのか、どう考えるのかを、せっかくの機会だからしっかり聴いておかねば損ということなのでしょうか、やはり日本人にはちょっと真似できませんね。日本人だったら萎縮してしまっているところでしょう。
最後にルケが「あとでゆっくり練習するわ」と言ったのには思わず吹き出してしまいました。先生が家でしっかり練習して来なさいとでも言うならわかりますがね。日本なら不謹慎とも取られかねない言動ですよね。でも師弟とはいえ、フレンドリーな関係でレッスンが進む様子は、ちょっとうらやましいところもありますね。

次はベートーヴェンのソナタです。第1楽章、第3楽章が収録されています。
視ての率直な感想ですが、やはり、ソナタ(特に古典的な作曲家のもの)は、指が回る、音程が正確ということだけでは全然ダメだとつくづく感じました。
アーティキュレーション(音の長さ、スラーの有無などの音型)、音の強弱、フレーズ、テンポを奏者がどう考えて弾いているか、それが聴き手に正確に伝わらないと音楽にならないと感じました。奏者の都合で弾くたびにテンポや音の長さ、フレーズの取り方が変わってしまったのでは作曲家の考える音楽が正確に伝わりません。また、同じ音型、フレーズが何度も出てくる場合、それが統一されていなければいけません。そういったところがこの演奏は不完全と言わざるを得ないと思いました。
アッカルドはソナタですから、伴奏者を含めて、テンポや音の長さの指示をしていました。しかし、それはそう細かくはなく、終始ご機嫌で、「素晴らしい」の連続でした。そして、極めつけは楽章間での短いインターバル中の「ブラボー、素晴らしい、ありがとう。だって実に可愛らしいですね」という発言。日本で先生がこんなことを言ったらセクハラ問題にもになりかねませんが、さすがイタリアですね。レッスンでもこの程度は日常茶飯事のことなのでしょうか?
ともあれ、アッカルドのレッスンを居ながらにして覗くことができるという点では貴重なDVDだと思います。近々第2巻も出るようです。


アンドレアス・レーンの息子のダニエル・レーンのCD、 ヴァイオリン小品集

ダニエル・レーン  ヴァイオリン小品集 CD

claves /50-2507
ダニエル・レーン  ヴァイオリン小品集

シンディング:組曲イ短調Op.10
シューベルト:幻想曲ハ長調D.934
ブラームス(クライスラー編):ハンガリー舞曲17番
ポンセ(ハイフェッツ編):エストレリータ
フォスター(ハイフェッツ編):金髪のジェニー
ドビュッシー(レーン編):小組曲~メヌエット
モシュコフスキ(サラサーテ編):ギターレ
パガニーニ(プシホダ編):パイジエルロの「うつろな心」による序奏と変奏曲
ワックスマン:カルメン幻想曲

ヴァイオリン:ダニエル・レーン     ピアノ:ミラーナ・チェルニャフスカ
録音:2002年3月

使用楽器はシカゴのストラディヴァリ・ソサエティから貸与された
1617年A & H.Amati “Ex Lobkowicz”

以前、アナ・チュマチェンコクラスのヴァイオリニストでこのダニエル・レーンの演奏については少し触れたことがありました。そのときは、モーツァルトの協奏曲でしたが、このCDでは技巧的な曲から洒落た小品までヴァラエティに富んだ曲の数々をたっぷりと聴くことができました。

以前のブログでも書きましたが、このダニエル・レーンは1979年生まれ。父親がアンドレアス・レーン(バイエルン放送響コンマス)、祖父がエーリッヒ・レーン(フルトヴェングラー時代のベルリンフィル・コンマス)というサラブレッドなのです。

レーンの演奏は、どんなに技巧的に困難な箇所になろうとも弾き方が荒くなって音がつぶれたり、不鮮明に聴こえたりすることがありません。技巧的な曲では鉄壁な技巧を駆使し、どこまでも曲の細部が見通せるような演奏を披露。
今さらなのですが、このCDを聴いて初めてワックスマンのカルメンの終結部の音の配列がわかりました。大抵はガーッと押し切られてしまって、いったいどんな音だったのか、果たして正しい音程だったのかがわからずに曲が終わってしまっていますから・・・
一方、エストレリータや金髪のジェニーのような小品ではまるで一昔前の巨匠のようなポルタメントやヴィブラートを使い、どこか懐かしいヴァイオリンの音を奏でます。この二面性が彼の大きな魅力でしょう。
まだ日本では全くと言って良いほど有名でないと思うのですが、私としては是非生で聴いてみたいヴァイオリニストですね。

使用楽器は、シカゴのストラディヴァリ・ソサエティから貸与されたA & H.Amati 1617“Ex Lobkowicz” ということですが、実にクリアで力強い音ですね。やや近接した録音が、演奏、楽器の特徴を良くとらえていると思います。


カンポーリのメンデルスゾーン、ヴァイオリン協奏曲ホ短調

アルフレード・カンポーリのCD

Spectrum Sound /CDSMAC005
アルフレード・カンポーリのメンコン

メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調 Op.64
ブルッフ:スコットランド幻想曲 Op.460

ヴァイオリン:アルフレード・カンポーリ
エイドリアン・ボールト指揮  ロンドン交響楽団
録音:1958年5月

以前にもう一つのメンコンをご紹介いたしましたが、本日ご紹介するのは正真正銘いわゆる有名なメンコン、ホ短調の方です。
冒頭からの名旋律で聴衆の心はぐっと惹きつけられ、上級者のおけいこ名曲として、また、ヴァイオリン弾きなら誰もが弾いてみたいとあこがれる曲なのですが、誰でも知っている曲というのは非常に怖いものがあります。それは、ちょっとした音程の狂い、弾き間違いでもすぐにバレてしまうからです。
ですから、試験やコンクールで弾くのは並大抵のことではありません。逆に言えば、曲が自由に選択できるのに、わざわざメンコンを選んだという場合は、奏者の方で相当聴かせる自信があるというように取られてもしかたないと思います。

名曲ゆえ数多くの録音が存在しますが、本日ご紹介いたしますのはアルフレード・カンポーリの演奏です。
カンポーリは1906年ローマ生まれ。1991年没。父ロメオは聖チェチリア音楽院ヴァイオリン科教授兼、アウグステオ交響楽団の首席奏者でした。5歳のときに、ロンドンに移住。12歳でロンドンの音楽祭に出場。15歳でデビュー・リサイタルを開き、その大成功が彼の世界的演奏家としての栄光の道を開きました。日本へも1960年夏に初来日、そして1966年にも再来日を果たします。

カンポーリ、日本での録音 左のCDはその1966年の来日時に日本でレコーディングされたものです。日本の曲「赤とんぼ」「城ケ島の雨」2曲を含む、11曲の素敵な小品集となっています。(YMCD 2001)
天才少年としてデビューし、世界中を演奏して回り、来日も果たしたカンポーリが今日あまり知られていないのは、やはり録音の少なさ、CDの手に入りにくさでなのでしょうか。でも埋もれさせておくのには実にもったいない演奏家です。

カンポーリの素晴らしいところは、まずその歌心でしょう。それをいかにもイタリア人らしくと言ってしまえば実に陳腐な表現なのですが、本当に伸びやかなヴァイオリンの音です。
メンデルスゾーンのこの協奏曲はこのように淀みなく歌って欲しいですね。しかしながら、その歌は過度に感傷的だったり、野放図なものではなく、気品に溢れているのです。まさに理想的な名演と言えるのではないでしょうか。
そして驚くべきは、彼のテクニックの正確さです。スコットランド幻想曲の速い部分を聴きますと、ハイフェッツかと見まがうくらいのキレがあります。
しかし、ただ正確に弾けるだけですと、この曲は単調な練習曲みたいになってしまうのですが、カンポーリの場合は決してそうはなりません。どんな細かい音符にも心がこもっているのです。ビールのCMみたいですが、カンポーリは「キレがあるのにドライでない」のですね。

つい最近スペクトラム・サウンドというちょっとマニアックなレーベルから、このCDが出されました。(何と、これはLPレコードからの復刻=いわゆる板起こしなのですが)ノイズもなく、それでいてヴァイオリンの高音域の伸びも全く不足なく、高音質で復刻されています。是非、カンポーリ再考ということで一度お聴きになられてみてください。