Claudio Testoni 2001 Mantova

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イタリア新作ヴァイオリンと言えば クレモナ、クレモナ でなければイタリア新作ではないと思っている方へ

エンリコ・チェルティ (1808-1883)以降はクレモナでのヴァイオリン作りはすっかり衰退してしまいます。いわゆるモダンイタリーと呼ばれる時代はミラノ、トリノをはじめクレモナ以外の大都市にヴァイオリン製作の中心は移ることとなりました。それは、ヴァイオリン製作家がヴァイオリン以外にもマンドリンやギターなどを製作し、売るようになり、そういう形態の商売には小さな地方都市クレモナよりも、大都市の方が好都合だったのです。
マントヴァもそのうちのひとつ。決して忘れてはならない重要な地名です。それは マントヴァはステファノ・スカランペラ という偉大な名工を輩出した土地だからです。スカランペラのヴァイオリン製作の伝統はその後マントヴァで 弟子のガエタノ・ガッダ、ガエタノの息子のマリオ・ガッダへと受け継がれていきます。
そしてマリオ・ガッダの後継者が このクラウディオ・テストーニ なのです。 ですから、数は少ないながら、クレモナ以外にも優秀なヴァイオリン職人、製作家は存在するのです。そしてモダンイタリーの時代の製作の継承という点においては、クレモナの新作ヴァイオリンよりも、そういった土地の新作楽器の方がイタリアモダンの特徴を色濃く伝えてくれています。

ところで、この楽器はあまりスカランペラ風ではありません。それよりもミラノの楽器の影響を強く受けているように思えてなりません。ミラノの名工の楽器と比較してみてください。
これは私の想像ですが、彼は ガリンベルティ などのミラノの優れたモダン楽器をコレクションしているのではないでしょうか。それを見ながらこのヴァイオリンは製作された・・・・・そんな風に考えたくなるのですが、まあこれは私の妄想に過ぎないかもしれません。

ところで、チェルティ 以降途絶えてしまったクレモナのヴァイオリン作りはいつ頃にまた盛んになってきたのでしょうか?
驚くなかれ、現在のクレモナ復興のきっかけを作ったのはあの悪名高きムッソリーニなのです。
ムッソリーニは実はアマチュアとしてはかなりのヴァイオリンの弾き手であったようで、1937年 ストラディヴァリ没後200年を記念してクレモナにイタリア国立ヴァイオリン製作学校を創立しました。その後この学校からは皆さんの良くご存知の フランチェスコ・ビソロッティ(1929~)、 ジォ・バッタ・モラッシィ(1934~)、 ステファノ・コニア(1946~)、 ジョルジョ・スコラーリ(1952~)などの現在著名なヴァイオリン製作家が卒業し、母校の教壇に立つなどして、今日のクレモナ復興の原動力となったのです。

今や日本で クレモナ はブランドと化してしまった感があります。言うまでもないことですが、そういった環境下では、楽器の本質を見極めることがいっそう必要となります。

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