弦楽器を販売するに至った理由 (後に f-hole に転載 )

今回は私が弦楽器を販売するに至った理由について お話ししてみます。

私の妻はヴァイオリン弾きです。 妻は、子供の頃からずっとヴァイオリンを習い 音大に入りました。
妻は、高校(今から約25年前)の時、受験の為、 先生の薦めでイタリアの銘器を購入しました。
当時のお金で120万円だったそうです。

それ以来、その楽器をずっと弾き続けて きたわけですが、今から5~6年前、あまりにも 調子が悪くなったため、大修理を施すこととなり、 裏板をはずすこととなりました。 そこでわかったことは、楽器は「本物」ではなかったこと。 そして、楽器の健康状態(コンディション)が相当に悪化していた ことでした。
妻は大変なショックを受けました。 悪いことに、それについて文句を言おうにも、販売した楽器商はとうに他界し、 先生も第一線を退いていました。 (だいいちそんな昔に買った楽器のクレームなど、たとえその楽器商が 生きていたにせよ取り合ってはくれなかったでしょうけれど。)
120万円というのは、他の楽器商からの情報では「本物」 の値段だと言います。
現在、本物であれば800万円から1000万円で取り引きされる 楽器なのです。 鑑定書が付いていたので安心していたようですが、 真贋の問題というのは鑑定書が付いていても 最終的にははっきりしない場合が多いのです。 鑑定書など、紙1枚ですから何とでも書けるわけです。
ですから、真贋にまつわるトラブルは世界中で起こっています。 日本では「芸大ガダニーニ事件」が新聞でも大きく取り上げられました。

楽器についての意見、修理についての意見を 聞くために、弦楽器工房をいくつか回りましたが、 そこで得たことは、 「楽器が本物か偽物かということよりも、つくりがきちんとしている、 そして、健康であることの方がもっと大事である。」 ということです。
妻の楽器の最大の問題点は、それが著しく悪かったということです。
これは、楽器の道具としての性能を欠いているということです。 そういうものが120万円で売られたということが大きな問題だったのです。 (偽物でも本物と寸分違わずに作られているものは、それだけで 製作者の腕の確かさがわかります、値段が妥当であれば、 それ自体道具としては 優れたものと言えるわけです。)
そして、それに係わった先生(楽器商からのお礼は全然頂かなかった 先生だったと言いますが)にも幾ばくかの責任はあるでしょう。 お礼をもらわないから許されるという話ではないと思います。

日本人は、情報や知識はただで利用できると考えていますが それは大きな間違いです。 先生は、しっかりとした選定をして、それに対する報酬はきちんと もらうべきなのです。 そして、楽器商、先生の言うことだけを信じた妻と親 にも多少の責任があると思います。
結局、楽器のことをあまりにも知らなさ過ぎたのです。 まだ高校生だった妻と音楽家ではなかった親にとっては 酷な話なのかもしれませんが、良い楽器(道具)とは どういうものかについて、あまりにも知らなすぎたのです。

このような楽器にまつわるトラブルは何も妻に限ったことではなく、 似たような話は聞いてみるといたるところに、ごろごろしていました。

この問題は以下の3点に大きく集約されると思います。

1)楽器選びに関して先生の意見が占める割合が大きすぎること。

2)先生は楽器演奏、指導のプロであって、全ての先生が 楽器に精通してはいないこと。

3)楽器を選ぶ基準を「音」にしか持たないこと。

2)は、日本の音楽教育の問題です。日本では奏法は学んでも、 楽器本体について学ぶ場がありません。 これが楽器について判らない教師を産みだす原因となったのです。

3)は意外に思われるかもしれませんが、音だけで選ぶと、 コンディションの悪い楽器をも「柔らかい良い音」などと勘違いして 選んでしまう危険性があるのです。

1)については楽器商が奏者に正しい知識、情報を 伝えようとしないことが原因です。
お互いの足の引っ張り合いを日常茶飯にしている業界です。 (例えば他店で買った楽器を別の業者に見せると、それは偽物だと言ったりして 他店を誹謗中傷することが平気で行われてきました。)
これでは、演奏者が誰を、何を信じて良いか判らなくなるのも無理はありません。
結局先生を信じるしかないのです。
しかし、楽器についての正確な知識が無くても「知らない」と言えないのが 権威者である先生のつらい所です。 楽器をみる能力は、「教える仕事」とは全く別の能力なのです。

私は少なくとも1)、3)は楽器商の側からもっと適切な情報を発信していけば 改善できるはずであると確信し、このHPによる情報発信を始めました。 そして世間の弦楽器の価格に対する不明朗感を払拭するため、 適切な価格での楽器販売を始めたわけです。 妻のように、楽器に泣く人が今後現れないように・・・・・・
ざっとこういう訳なのです。 実は私の歴史の中にも、弦楽器商になる要因はあったのですが それはまた次の機会にでも・・・・。 98.9.01

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