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イザベル・ファウスト|J.S.バッハ無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全集

イザベル・ファウスト CD :HMC 902059  J.S.バッハ無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全集

HMC 902059                        HMC 902124
J.S.バッハ無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全集

・無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調 BWV1004
・無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第3番ハ長調 BWV1005
・無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番ホ長調 BWV1006
録音:2009年9月

・無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番ト短調 BWV.1001
・無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第1番ロ短調 BWV.1002
・無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第2番イ短調 BWV.1003
録音:20011年8月、9月

ヴァイオリン:イザベル・ファウスト
使用楽器:Stradivari 1704 “Sleeping Beauty”
(Landeskreditbank Baden Württemburgより貸与)

上記のように、約2年ほど間を空けて完成させたイザベル・ファウストの“バッハの無伴奏”ですが、録音時期の違いによる解釈の違い、そして録音の音造りの違い等は全く感じられませんでした。ですから2枚続けて聴いても全く違和感なく、統一された演奏として聴き通すことができるでしょう。
この演奏は、前回ご紹介したアッカルドのJ.S.バッハ無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全集の演奏とは全く対照的なものと言えると思います。もちろん、それ以前の大家、例えばシェリングやシゲティなどのバッハとも異なるものです。
このCDは(弓については現代Bowを使用したのか、バロックBowを使用したのか不明ですが)モダン仕様の楽器で最もピリオド的な演奏をした“バッハの無伴奏”と言えるのではないかと私は思います。

下記の演奏家の言葉からも、自筆譜を見つめ、ピリオド奏法を研究しそれを最大限に採り入れた演奏であることが窺い知れます

バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータの自筆譜を見た人は、その筆致の美しさ、完璧さに驚かされる。
一貫して変わらない筆跡は、支柱、装飾、荘厳な構築性を兼ね備えた大聖堂のような総合芸術へと私たちを誘う。ここで見られるハーモニー、均衡はなんということか!
この自筆譜の特徴を耳で聴けるかたちにするのは大変に骨の折れる作業である。
演奏者は尽きることのない疑問と戦い、ゴールが果てしなく遠いことに気が遠くなることもある。
この録音は、偉大なバッハに対する敬礼のようであり、きわめて親密なスナップであり、そして果てなく続くプロセスの中の一つの結晶のきらめきのようなものである。

この演奏の一番の特徴は速い楽章にあると私は考えます。ソナタ1番の終楽章、ソナタ3番の終楽章、パルティータ2番Giga、そしてパルティータ3番の終楽章などを聴いてみてください。唖然とする速さです。
通常、モダン楽器、モダン弓でそのテンポで弾いたら弾けなくて破綻をきたすか、弾けても普通なら音がつぶれたり荒っぽく聴こえてしまうような、とても速いテンポをファウストは採用しています。
速い楽章のテンポというのは、細かい音符がきちんと聴衆に聴こえるテンポ、破綻をきたさず弾けるテンポが基準にならざるを得ないのですが、そういう意味では非常識とも言えるテンポです。
ファウストくらいの名手ならば、このテンポでもテクニック的に破綻をきたさないのは当たり前なのかもしれませんが、驚くべきはその軽やかなボーイングです。どんなにテンポを上げていっても、発音が軽く、限りなく音が明瞭なのです。決して音がつぶれたり、濁ったりしません。モダン楽器でテンポを上げ過ぎると、どこか音楽が大袈裟で騒がしく聴こえかねないのですが、この演奏は聴いた後に、まるで風が草原を駆け抜けていくような、爽やかで清々しい印象だけが残ります。
また、緩徐楽章に於いては、弱音を効果的に生かした演奏と言えると思います。(古楽器演奏家が良くやるように)音の真ん中を大きく膨らませることなく、ストレートに弾いているため、音の美しさがより際立ち、透明感、寂寥感が際立っています。

そして、この演奏のもう一つの特徴は、装飾音です。
ファウストは反復記号を省略せずに演奏していますが、その反復を行った際に、譜面には無い装飾音を付け加えて弾いています。(速い楽章ですと装飾音を入れることが物理的に難しい場合もありますので、装飾音の付加は緩徐楽章に於いて顕著に聴くことができます。)

バロック期の作品に於いては、演奏家が即興で装飾音を加えるという演奏スタイルがごく一般的だったので、そう珍しいことではないのですが、ことバッハに関してはそうは言えません。
と言うのも、バッハの場合は装飾が必要と思われるような部分は、作曲家自身がかなり細かく音符を書いてしまっているので、その上に敢えて装飾は不要だということなのです。さらに、奏者が装飾音を加える行為はバッハではタブーであるという考え方さえもあります。
ですから、イザベル・ファウストが行った反復の際の装飾音の付加に関しては、異論も出るかもしれません。
ただ、聴いていますと、殆どの場合ほんの少しの装飾に留まっており、それによって曲想が大きく崩れるような箇所はありません。ですから、譜面を見て聴いていたり、曲に精通しているような方が聴かない限りはそう気になるようなことはないのかもしれません。

ただ、すごく気になる箇所がひとつあります。それは装飾音ではないのですが、誰もが「えっ」と驚く箇所があるのです。
それは無伴奏ソナタ第1番の第Ⅰ楽章、第3小節目にやってきます。おそらく皆さんが今まで聴いたことのない響きをそこで聴かれると思います。
これは演奏上のミスなのか?譜読みのミスなのか?そんなことがあるわけがありません。良く知られているバッハの無伴奏ですし、これはライブ録音ではなく、
セッション録音です。編集上のミスということもまず有り得ないでしょう。ですからこれは意図的なものと考えるべきでしょう。

J.S.バッハ 自筆譜 そこで、自筆譜(左)を調べてみることにしました。問題の箇所とは、3小節目3拍目、矢印を付けた箇所なのですが、通常はここはEs(ミの♭)で弾かれるところです。
それに対し、ファウストはこの音をE(ミ)で弾いています。ですから聴き慣れない異様な響きがして、ドキっとさせられたのです。
でも自筆譜を良く見てみるとどうでしょう、臨時記号♭は付いていないではありませんか!
おそらく、楽譜の出版の際には前後の関係や調性などから、バッハが♭記号を書き落としたものとして処理されてきたのでしょう。私が知る限りではこの音符をファウストのようにE(ミ)のまま弾いた例を知りません。自筆譜に忠実だと言えば確かにそうなのかもしれませんが、物議を醸しだす箇所と言えば言えると思います。

イザベルファウスト自身がこの音の件について語ったインタビュー記事を見つけました

このような装飾音や、臨時記号の是非については音楽学者におまかせするとして、私はこの演奏は現代楽器によるピリオドアプローチとしてはまず大成功と言っても良い出来だと思います。

特に私が優れていると思ったのは、パルティータの1番の演奏です。
この曲は4つの舞曲から成り、それぞれの舞曲の後半には、ドゥーブル(Double)が置かれています。このドゥーブルというのは変奏曲のようなものなのですが、これが演奏するにあたっては実に曲者です。ドゥーブルは本編と同じテンポで弾くのが原則なのですが、これがなかなか難しく、できていないことが多いのです。
ファウストの演奏はドゥーブルの処理が実に見事です。それは先に書いたように速いテンポでも全ての音符を美しく弾き切ることができているからです。
パルティータの1番は、4つの舞曲、付随するドゥーブルの性格の違いが聴き手にはっきりと伝わらなくてはいけないと思いますが、この演奏でそれが初めて伝わったように思いました。

現代におけるバッハ演奏の理想的なかたちとして、また一つの規範として、このCDは学習者の手元にも置かれるべきであると私は考えますが、ひとつ心配があります。それは、このような演奏をコンクール等でしたときに果たして日本の審査員はどう評価するだろうか?ということなのです。残念ながら今のところそれは未知数であるとしかお答えできません。
と申しますのも、審査員の年齢やそれぞれの(かつての)学習の基盤によって、どのようなバッハを善しとするかは様々であり、大きな隔たりがあるからなのです。
でも、もし海外のコンクールや講習会等でバッハを弾くような機会があったとしたら、かつてのシェリングのような大家風バッハではなく、ピリオド奏法を取り入れ、なおかつそれを自分の中で咀嚼したようなバッハを演奏するべきだと私は思います。実際、海外のヴァイオリニストが日本に来て今弾くバッハ(協奏曲のアンコール等も含む)は、ほとんどそのような流れになってはいないでしょうか?

ですから、日本に於いても(師事している先生がいくら眉をひそめようとも)外人の先生のマスタークラスやレッスンなどでは、ピリオド奏法を研究したバッハを弾かないと「時代遅れ」のレッテルを貼られてしまいますのでご注意を。