ヴァイオリン製作家 Geng Xiao Gang (耿 暁鋼)

耿 暁鋼 Geng Xiao Gang (ガン ショウガン)

略歴

  • 1960年 中国の北京に産まれる
  • 1978年 高校卒業後、軍隊体育学校で船の模型を創る仕事に就く
  • 1980年 北京小提琴(ヴァイオリン)工場でヴァイオリン製作の修行を始める
  • 1988年 来日し、都内の弦楽器店で修理 主にオ-ルド楽器を担当)の仕事をする傍ら休日にヴァイオリン製作を続ける
  • 2000年 独立し、念願だった工房をオ-プン

私とヴァイオリンとの出合いは中学生の頃です。父が音楽好きでヴァイオリンを弾いていたことに影響を受け、中学生の頃ヴァイオリンを習っていました。子供の頃からプラモデルを作ったりすることが大好きだった私は、少し音が出せるようになると弾く事よりも『ヴァイオリンってどうやって造るのだろう?』という楽器の構造に惹かれるようになりました。どうしてもヴァイオリンの内部を覗いてみたくて、父が大事にしていたヴァイオリンを内緒で分解してみた事もあります。初めてヴァイオリンの内部を覗いた時の、「何てシンプルな造りをしているのだろう」という驚きと、「何時の日か自分の手でヴァイオリンを造ろう」という思いを今でもはっきりと覚えています。あの頃からシンプルで洗練された形と何とも言えない音色を持つヴァイオリンに魅せられていたのです。

高校卒業後、私は手先きの器用さを活かし、国営の軍隊体育学校で船や船艦の模型を創る仕事をしていましたが、2年後に閉鎖され失業してしまいました。これから先、何の仕事をしていこうかと真剣に悩んでいた時に偶然にもヴァイオリン製作の仕事を見つけたのです。初めてヴァイオリンを解体した時の懐かしさを鮮明に思い出し、ヴァイオリン製作の道に進む事を決心しました。その時からヴァイオリン製作の修行が始まりました。
北京小提琴(ヴァイオリン)工場に就職して1年半は、毎日木材のカットをさせられました。山から運ばれてくる大きな木材をヴァイオリン1挺1挺のサイズにカットするという単調な作業です。雪の降る日にこの作業をするのは大変辛いものがありました。就職すればすぐにヴァイオリン製作に取りかかれると思っていた私は、毎日木材のカットをさせられイライラしていました。 その時師匠から、「木を知らなければ良いヴァイオリンは造れない。今は辛いかもしれないが、この経験がいつか必ず役に立つ時がある。」と叱咤激励された事があります。(その時の言葉がとても重要だと、だいぶ後になって知る事になりました。)

その後、同工場のハ-プ部の師匠に推薦され、3年間はハ-プ造りをしていました。当時中国にはハ-プを造れる人が3人しかいませんでした。ハープとヴァイオリンというと全く違う楽器ですので、「なぜハープ?」と疑問に思う方がいらっしゃるかも知れませんが、ハ-プも材料は木です。ハープは体で抱え込んで演奏するものですので人それぞれの体格に合わせてバランスの良い形を造らなければ、演奏することが不可能です。その意味ではヴァイオリン造りよりも高度な技が必要だと言われています。少し遠回りだったかも知れませんが、ハープ造りの経験(ハ-プを造るための道具の使い方や技術)が、今のヴァイオリン製作にも活きています。
ハープ造りを経験した後、ヴァイオリン製作部に配属になった私はヴァイオリン製作にのめり込みました。朝5時に起床し自宅でヴァイオリンを製作し、工場でもヴァイオリンを製作し、帰宅後も夜中までヴァイオリンを造る、そんな生活をしていました。

実際に製作に取りかかってみて、見習い時代にただひたすら木材の切り出しをしていた事の意味を理解することが出来ました。木を全体的に見ただけで、その木が持つ特徴や木目の流れ、出来上がるヴァイオリンの全体像、音色までも想像する事が出来るようになったからです。合理化が進み、他の業者がこの作業をしてしまう為、今の時代にこのような経験をする事は不可能に近い状態です。若い時に貴重な経験が出来たと言えます。

当時の中国は外国との交流が自由に出来ないため、海外の情報が中々手に入りませんでした。ヴァイオリンに関する資料も殆ど手に入らなかったわけです。自分の技術をもっと確かなものにしたいと考えていた私は、「どうにかしてヴァイオリンの情報を集められないものか、どうやったら実際にヨ-ロッパのヴァイオリンに触れる事が出来るだろうか」とばかり考えていました。そんな時、知人の好意で日本へ留学出来る事になりました。

当時の日本はバブルの絶頂期で世界の銘器と呼ばれる楽器が沢山集まっていました。日本語学校に通いながら自分の製作したヴァイオリンを持って就職活動に励み、都内の弦楽器店にアルバイトで雇ってもらえることになり、今日にいたるわけです。

独立して工房を開いた理由

来日後、十数年勤めた弦楽器店から独立したのは 『もっと、お客さまとのコミュニケーションを大切にしながらヴァイオリンの修理・製作をしていきたい。』 という思いからでした。

修理の仕事をしていて気づいたのですが、日本人には「ヨーロッパ(特にイタリア)のヴァイオリンだけが良い楽器」だと思っている方が大勢います。「安い楽器=悪い楽器」と思い込み、あまり状態の良くない楽器を信じられないぐらい高い値段で購入してしまっているのです。確かにイタリア製には銘器がありますが、中にはハズレもあるのです。現在のヴァイオリン製作はストラディバリやガルネリなどの銘器が研究され、製作技術がかなり向上し、海外ではイタリアの楽器だけがすばらしい楽器という考えはなくなっています。

もともと勤勉で手先の器用な日本人の製作する楽器はすばらしく、海外でも高い評価を得ています。また、人材と良質な材料が豊富な中国では近年すばらしい楽器が製作され、良心的な価格で市場に出ています。これらの楽器は文化や環境によって特徴こそ違いますが、どれもみんなしっかりとした造りの良い楽器ばかりですから、世界的にも需要が延びています。
それでも日本ではイタリア製の高い楽器が人気です。 「ヴァイオリンはイタリア製じゃなくてはダメだ」という先入観にとらわれ、どんな楽器を必要としているかを見失ってしまうのですね。大切なのは、「使用目的に合った良い楽器の判断基準をしっかりと持つこと」なのですが・・・。
また、残念なことに調整を依頼されるお客さまの楽器の多くは鳴り切っていません。本来ヴァイオリン属は、もっと底力のある楽器です。お客さまの多くは楽器本来の潜在能力を出し切れていないのです。でもそれは仕方のないことでもあります。「本物の音」を知らなければいくら腕の立つ演奏者が弾き込んでも、「本物の音」を出すことは出来ないからです。良い楽器をお持ちなのにちょっと勿体ないことですね。

幸い、私は世界中の銘器が日本に集まってきたバブル期に日本で勉強し、銘器中の銘器を数多くリペアしてきた経験があります。そのため、確かな目で良い楽器かどうかを判断でき、豊富な経験を活かすことで「本物の音」を再現することができます。
もっと、お客さまに直接アドバイスを差し上げる事で、「お客さまと楽器とのお付き合い」を手助けしたいと思い、2000年の夏に工房を開きました。自分の工房を開くことで、お客さまと直接お話をさせて頂き、お客さまがどんな楽器・どんな音色を求めているのかを理解し直接アドバイスを差し上げる事が出切るようになりました。この経験は私の楽器製作にも大変役立っています。

ヴァイオリンの寿命はとても長いものです。私がお客さまから直接お話を伺い、お客さまの目となり耳となることで、『お客さまと楽器の出会い、そして世代を越えたお付き合いまで』をお手伝いしていけることを願っています。

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